「今村選手は、私にとってボートレーサーとしての目標であり、憧れの存在でありました。また、これまで数々の記録を達成され、まさにボートレース界のパイオニア的な存在でした。同世代ながらずっと憧れていた選手だけあって、引退は非常に残念です」
「今村さん、40年間選手生活お疲れ様でした。僕は今村さんの選手としての考え方だったり、姿勢をお手本にさせていただいていました。本当にありがとうございました。僕が言うのもなんですが、今からまだまだ人生長いでしょうから、第二の“今村豊人生”を楽しんでください。どうも、本当にお世話になりました」
「師匠、40年間本当にお疲れ様でした。僕をここまで育ててくれて、ありがとうございました。本当に寂しいし、悲しいですけれど、これからは今村さんが唯一成し得なかった“賞金王になること”を、最高の恩返しと思って、日々精進していきたいと思います。そして今村豊ファンの皆様、僕がこれからは、家もものすごく近いですし、家に遊びに行ったり、ゴルフに行ったり、僕がそばで見守っていきますので、どうか安心してください。師匠、愛しています!」
「今村さん、40年間長い間本当にお疲れ様でした。僕と走った20数年間、本当にありがとうございました。今まで、いろいろなことを助けていただきましたが、自分自身、今から助けてもらいたいことも、たくさんあったのですけど、それも今村さんの引退で叶わぬこととなりました。これからはプライベートで、ゴルフを一緒に楽しみたいと思いますので、ぜひゴルフのご指導をよろしくお願いします。本当に長い間お疲れ様でした」
「59歳までトップとしてSGなどで活躍され、とても真摯に仕事に取り組んでおられました。ボートレーサーとしてのお手本であり、偉大な方でありました。第二の人生も身体に気をつけてすごしていただきたいです」
「今村選手は、子供の頃からずっとスター選手でした。ボートレーサーとして一緒に走らせていただいて、非常に勉強になりました。また、仕事に向かう姿勢も非常に心に残っています。これからも今までどおり、笑顔の絶えない人生を送って欲しいです」
訓練時代はとにかく上手くなりたいと思って、いろいろなことを考えていましたね。
「いかにして1800mの最短距離を走るか」「ターンマークは飛び越えられるんじゃないか」「そのためにバウはどこまで持ち上がるのか」など、不可能を可能にできないかと考えていました。転覆も多かったですが、全速ターンを必死に練習しました。恐怖心はなかったです。
デビュー後も、他人より努力することが大事です。
何も考えずに乗るだけの人は、凡人です。
自分が上手くなりたいという気持ちがなければ、上達はしません。
他人から言われてではなく、自分で考えて乗ることです。やはり1周でも多く乗ることですね。今の若い選手にはそれがありません。師匠に怒られるから乗るのでは意味がないんです。
昔の自分より乗っている人を見たことがありません。
努力しない人に限って「自分はやっている」と言います。
努力する人は「まだ足りない」と言います。
日本一強い選手は、日本一努力しているんです。
収入面で満足しても勝てません。緩まず上を目指して、勝つまでやり続けることです。若い選手はとにかく乗って、ターン技術を磨いてから、プロペラ、整備を覚えていけば十分です。
稼ぐ選手は、水面以外の動きも良いんです。レースに参加する時は施行者、競走会、選手など、関係者への挨拶は必ずすること。開催が終わった時もそうです。時間があいたら会話をして、全ての人に好かれることが大切です。
稼げば稼ぐほど、人に好かれなければなりません。天狗になってはいけないし、周りから一流と認められなければいけません。
最初は先輩選手と会話することも難しいかもしれませんが、会話をして、名前を覚えてもらい、中に入っていく努力が必要です。稼ぐ選手はハッキリと会話をします。技術だけが稼ぎの差ではないんです。
私のレースの美学は、“他人にボートを当てないこと”です。スマートに勝つ。誰からも認められる勝ち方がしたいんです。だから、記念レースで相手が突っ込んできたら怒ります。「そこまでしないと勝てないのか?技術はあるだろ」と。
簡単に勝てるものじゃないですが、焦らず、努力を惜しまず、フライングは1年間せずに、とにかく乗る時間を作ってください。
(2011年8月30日・ボートレーサー養成所にて)
1980
女子特別募集(大量養成)が始まった48期生として山梨県・本栖研修所に入所。模擬レースの勝率は2位、転覆回数(12回)はダントツ。
模擬レース成績
教官評
「スピードがある。事故が多いけど、うまく伸びれば相当な線まで行きそう」
1981
[5月]徳山でデビュー。初戦で水神祭を飾り、いきなり優出と、鮮烈なデビューを果たす。
1節走って80万円もらいました。当時は手渡しだったので、80万円を鞄に入れて電車に乗ったんですが、なくさないか心配で、ずっとその鞄から目が離せませんでした。80万円は大金でしたから、本当にヒヤヒヤしたんです(今村)
[11月]デビュー期に勝率6.20をマークし、A級昇級を決める。デビュー期6点勝率でA級昇級したのは斉藤廣、津田富士男に続き、史上3人目。
デビュー期の節間成績
デビュー戦で1着が獲れて、優出もできて、その後も結果が残せたのは、他人の真似をして、何度も練習をしたからだと思います。とにかく水面に出るのが好きでした(今村)
1982
蒲郡で初優勝
[2月]中国地区選(児島)でGⅠ初出場。
[5月]笹川賞(住之江)でSG初出場。
SG最短出場記録を更新する(デビュー1年1ヵ月目)。
[7月]丸亀30周年でGⅠ初優出、初優勝。
(GⅠ初優勝した)その次の日も練習に行きました。皆から『おまえ記念を取ったんじゃろ?』と驚かれましたけど、僕にはそれが普通だったんです(今村)
[10月]全日本選手権(桐生)でSG初優出。
年間表彰で初の最優秀新人選手に選ばれる。
1984
[4月]笹川賞(浜名湖)でSG初優勝。
1992年10月、服部幸男(当時21歳)が全日本選手権で優勝するまでSG最年少優勝者(22歳)の記録を保持する。
「何が何だかわかりません。無我夢中でした。1周目1Mで安岐さんに飛びつかれた時、転覆すると思ったですよ。必死でハンドルにしがみついとったです。10周くらいした感じです。勝因はエンジンとスタート。小林嗣政さんと福永達夫さんに朝いろいろとやってもらって最高の状態になっていた。先輩らのお陰だと思っています。これからも自分と戦うのみです」(今村)
1986
第1回賞金王決定戦出場
勝率8.05で初の年間最高勝率選手に輝く。
「最終ターンに入る手前で加藤さんは慎重に回ろうとしたんでしょうね。落として回ろうとしました。僕は加藤さんに追いつくまでは握ったままでした。並びかけると同時に思い切ってハンドルを切ったんですが、それが上手い形で全速差しになったんですよね。
ゴールに入った瞬間は、僕が勝ったなんて思えませんでしたよ。こんな勝ち方って今まで一度としてないんですから」(今村)
1987
[10月]SG全日本選手権(平和島)初制覇。
例えば、SGの予選をみんな2着でクリアして、優勝戦だけ1着になる。これを年間6回やれれば、年にたった6勝しかしてないのに、確実に賞金王になれますね。記念のパーフェクト優勝を、たとえ6回やっても、かなわない。どっちが価値があると思いますか?出るメンバーはほとんど同じなんですよ。
僕が勝率に重きをおいているのは、勝率はそういう意味で全部の積み重ねだからです。ダービーに勝つのが、真のNo.1だから。ダービーの勝者こそがトップなんです(今村)
「選手になった以上は一度は獲ってみたいタイトルですからね。もう感無量です。僕が行こうと思ったんですけど、彦坂郁雄さんが捲って行ってくださったんで、最高の展開になったですね。でも2Mで突っ込まれるんじゃないかと…。
(優勝戦の日は)自分でも硬くなってるのがわかるんですね。展示終了後、(31回大会覇者の)半田幸男さんが『無欲で行け』って言ってくれたんですね。それで気持ちが楽になりましてね…」(今村)
1988
[10月]元選手の庄島真知子さんと結婚。
1990
年間表彰で初の最優秀選手に選ばれる。
1995
生涯獲得賞金10億円突破。
1997
[12月]第12回賞金王決定戦でまさかのイン取り敢行。
ああ、すごいスタンドがどよめいてましたね。ええ、わかりましたよ。僕が西島(義則)の内を取ったからでしょう。あの段階では、僕としてはしてやったりと思ってましたからね(今村)
1999
[8月]メニエール病の症状悪化で1ヵ月半欠場。
ほんのちょっと、10cmでも動かされると吐くんですよ。目を開けたら風景がグワーン、グワーンと揺れるから目も開けられない。このままつづくんだったら殺してくれと思いました(今村)
2004
[3月]総理大臣杯(福岡)で、11年7ヵ月ぶりのSG優勝。
やっと(全モ連)会長を表彰式に呼ぶことができました。優勝戦の日にクランクシャフトを交換した。エンジン的には優勝できる状態ではなかったけど、最後まで諦めずにやってきたことが報われたのかもしれません(今村)
生涯獲得賞金20億円突破。
年間表彰で初の最多賞金獲得選手となる。
2007
[1月]通算2000勝を達成。
2014
通算2500勝達成
2015
[4月]第16回マスターズチャンピオン(児島)で完全優勝達成。
2017
[4月]24場制覇達成。
2018
[6月]地元徳山のSGに初めて出場。
この年齢になって、記念レースに出場できるなんて、こんなに嬉しいことはありませんよ。それに、徳山でSGが開催されるのは64年ぶりなんでしょ? そこに自分がいるなんて想像したことがありません(今村)
2020
[5月]78期連続A級となり、北原友次の持つ記録を更新。
[10月]現役引退。